帰省中に出会った蝶の3回目です。
今回の帰省で是非とも観察したかったのがゴマシジミです。
台風の接近で風が強くなってきた8月11日に庄原市北部の草原に行ってきました。
風下の斜面が見渡せる場所から探すと、たくさん飛んでいるツマグロキチョウの中に1頭ちらちらと青い蝶が飛んでいます。やった・・・、ゴマシジミです。
撮影しようと試みますがなかなか止まってくれません。止まっても風に揺れる葉の上で全く撮影できません。少々焦りましたが何とか撮影できたのがこの写真です。
(広島県庄原市 2010年8月11日)
写真を撮っている間に近くのゲンノショウコに別の個体がやってきました。上の個体とは翅裏の模様が微妙に違います。
(広島県庄原市 2010年8月11日)
そしてワレモコウに止まる個体も見つけました。
(広島県庄原市 2010年8月11日)
ワレモコウの花に産卵している様です。アップで撮影してみました。
(広島県庄原市 2010年8月11日)
この日は4個体を観察して、3個体の撮影ができました。でも天候の影響か翅表を見ることができませんでした。
それと、関東ナンバーの車を含めてネットを持った蝶屋さんが4名もいたのにもビックリしました。今日観察した個体も採集されたかもしれません。減少している蝶なので節度をもって接して欲しいです。
さて、開翅を見ることができなかったので、台風通過後の翌12日に再度観察に行ってしまいました。実家周辺は晴れていたのに現地は小雨、やっと11時過ぎから日が射してきました。開翅観察には絶好の条件・・・と思ったのに、昨日観察した草原には1個体も見あたりません。やっぱり採集されたのか・・・。
実家に来客があるため仕方なく12時でタイムアップ、引き返している途中で車内から道ばたのワレモコウに止まる個体を発見。
しばらく見ていると陽を受けて開翅を始めました。やったー、目標達成です。
羽が擦れて傷んでいますがそれでも充分に綺麗です。
(広島県庄原市 2010年8月12日)
この個体はワレモコウに産卵していたので♀だと思うのですが・・・。
(広島県庄原市 2010年8月12日)
最後に飛翔写真にチャレンジしてみました。何とか撮影できていた1枚です。
(広島県庄原市 2010年8月12日)
開翅も観察撮影できて、飛翔写真も撮影できて満足して実家に向かいました。
さて、唯一の心配は採集圧です。この生息地も環境的には以前よりかなり悪化していると思います。そろそろ何らかの規制が必要なのではないでしょうか。
2010年08月17日
夏の生き物・蝶(3)ゴマシジミ (広島県庄原市)
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蝶に限らず、見るだけでは飽き足らない人が増えてきましたね。見るもの全部採る人もいますが、この独占欲、何とかならないもんでしょうか。
自然の中にいてこそなのに、その人たちにそれを略奪する権利があるとは思えません。
テレビのバラエティ番組でも、オオクワガタはいくらとか、すぐお金と結びつけてしまうのを見ていると、虫唾が走ります。
採りすぎによる生態系への影響が気になります。
「くろせの虫」にお越しいただきありがとうございました。
同じ場所でゴマシジミを撮っているということですね。
最後の飛翔写真の場所で私も飛翔に挑戦しました。まったく駄目でしたけれど。
私は16日にいきました。網人はいませんでした。
これから時々お邪魔させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
こちらも結局写真を撮るために何らかの悪影響をおよぼしてる訳で、そのへんは自戒しないといけないと思っています。
ただ、採り屋より撮り屋の方がまだましかなとは思いますが・・・。
鳥屋にもいろいろ問題のある方はいますし・・・。
賀茂台地や広島の自然には思い入れがありますので、これからもよろしくお願いいたします。
数採り合戦の採集者も困ったもんですが、撮り屋の環境圧もひどいもんです。
いいカットを撮るというエゴの為にためにどれだけの植物や昆虫を踏みつぶしてきたことか。
それなのに採集者を下にみることで自尊心を保つ輩はどうなんでしょう!?
ゴマシジミの変わった生態の解明、生息地など撮影屋がリファレンスしてる元ネタは
永年かけて培われた採集家たちによってもたらされた情報がほとんどなんですけどね。
有名採集ポイントに行くから撮影屋が採集屋に出くわすわけです。
生意気言いましたが私も罪深き撮影屋です。すいません。。
撮影者による悪影響は私もそのとおりだと思いますし、自戒しなければと感じています。私は採集自体を否定していませんし、必要性もあると思っています。ただ、過度の採集の必要性はちょっと理解できません。
有名採集ポイントに行くから・・・は「採集者に会うのが嫌ならその場所に行かんかったらええんじゃ」という意味なら、それは違うと感じますが。
本質的には環境が維持てきていないことが問題で、日本の構造的な要因に起因しているのでしょう。これについて、私自身は全く無力であることを認めます。